幸せの三大原則。
そういうのって多分人の数だけあるんだと思う。

そりゃ「愛は地球を救う」って言うけどさ
やっぱり金とか権力とか
そういうのが大切なヤツもいるんだろう。



ちなみにオレの場合
大好きなヒトの隣りで
大好きなヒトと暮らして
大好きなヒトとシアワセになる事


とは言ったっていつだって希望ストライクがあるとは限らないのが人生。
オレは限られた選択肢の中、最良と思えるひとつを選び取って生きてきた。


そんで、思い知った。



「ユウ?早かったね」





──最良の選択が必ず最高の結果をもたらすとは限らない



眉をほんの少し吊り上げて、ドアの向こうに立ってたユウの息はほんの少
し弾んでいて表情とは正反対に落ち着かなかった。薄紅に染まった頬に手
を伸ばすと、くすぐったそうに身をよじって逃げ出す。




「入って?全部聞いたっしょ?コムイから」



なぁユウ。
オレがバカだったんだよ

ずっとずっと
愛とか一緒に過ごした時間は多ければ多い分だけ幸せになれるって信じて
たんだ。













【本】












こんな言い方をしても大袈裟だって言ってユウは絶対に信じてくれないだ
ろうけれど正直な話、そこにユウがいてくれたのを見て、驚きのあまりに
リミット待たずして全部吹っ飛ぶかと思った。



「そんでさ、あの時はホントもう一生許してもらえないかと思ったさー」
「ハッ、当然だろうが。許してやった俺の寛大さを敬え」



今、オレの隣りに座ってるのは間違いなくユウ。
昨日の朝、アフリカへ任務に出て一週間は帰れないはずだったけど。シー
ツのよれたベッドに並ぶその姿は履き馴らした黒のズボンと真っ白なシャ
ツってのは貴重な普段着姿。



「こういう時、日本だと『へへー』って言うんだっけ?」
「バーカ、時代がひとつ違げぇよ」



ワガママ言ったのはオレだけどさ
最後にほんのちょっとで良いって思ってた。
何にもかも分かんなくなる前に0,1秒前でもいいから
ユウに会えたらな、って



「次、何の話がイイ?」



ひとしきり笑った後、やわらかな表情のユウを覗きこんだ。
オレみたく、極限まで弛んではいないけど。そこに代名詞のような不機嫌
はない。抱きしめても今なら殴られないかもしれないけど、やめた。ユウ
はやっぱり殴らないだろうけど、こんなときにするのはやっぱりフェアじ
ゃない。
こだわってる場合じゃないだろ、って誰かに言われそうだけど、オレにと
ってのユウは本当に大事だから、ユウに嫌われないために決めたルールは
最後まで守ろうと思う。
その結果結局なにもできなかったら、それは素直にオレの負けでいい。



「任せる」
「ん、じゃ初デートの話とか」



物語みたいにして聞かせる話は間違いない、ノン・フィクション。
腰かけた脇にこっそり投げ出された手をそっと握ると、びく、って小さく緊
張した後で肩に頭をもたれてきた。





「何?」
「あと何時間だ…?」
「えっと…6時間とちょっと」



チェストに乗ったシンプルな目覚まし時計が示すのは午後5:46。12:00まで
あと6時間と14分。
映画なら4本とすこし。サッカーなら2試合分くらい。
それはオレが最後に願ったよりはずっと長い。でもユウが思ってたよりは多分、
ずっと短いんだろう。








いつかは来ると思ってたその日は予兆もなく今日という日にやって来た。


情に捕われず 戦争にハマらず どこにも足跡を残さず
ただ裏の歴史を忠実に語る存在・ブックマン。
でも、だからって人間捨てろってまで言うワケじゃねぇし、そこまで要求はさ
れてない。
実際今日この日まではそれなりに自由にやってきたし、ジジィもそれを許して
くれてた。ただ、オレはジジイや先々代より大切な想い出ってのを多く持ちす
ぎたんだ。
だから、消さなきゃいけなくなった。

自業自得なんだ、結局は



「もうユウに会う前のことはほとんど消えちった」
「………」



『過去を消す』なんて大層なコト言われたケド、フタを開けてみりゃ、ジジィ
の針でプスッと。秘功を突いて、それでおしまい。ありえないくらい簡単だ。
24時間でそれまでの『記憶』はすべて『記録』に変わるって言われた。人から
見りゃなんだそりゃ、って感じなんだろうけど、別に不満はない。
資質を見い出されてジジイに拾われたオレにとってブックマンになるってのは
夢とかそんなんじゃ片付けられない程の意味があった。逆説的な言い方をする
とブックマンにならないなんてことは考えられない。




「可哀想な奴、とか思った?」
「誰が…」
「だよね」



だから名前も故郷も捨てられたしどんなに犠牲を払ってでも生きる事に固執出
来た。
ユウとどっちが大事なのか、愛してないのかなんてなんて言われても
それとこれとは違いすぎて同じ天秤にさえ乗らない。


「話すよ、初デートの時のコト」



いつだったっけな。ユウが、そのことを聞いてきた時
ユウにとっての『あの人』と同じさ、っつったら加減なしにブン殴られた。
ただでさえユウは体温低いのにさ。殴られた瞬間は特に硬く、ゾッとするほど
冷たくて。今だって、右頬を撫でればヂリッとした痛みも、血の味もすぐに思
い出せる。



二度と言うな、バカヤロウ。



そう吐き棄てた、あの時の顔も。
怒りのあまり、涙とかそういうの止まっちゃうなんてあんまりにもユウらしく
て場違いに笑ったっけ。そしたらまた殴られた。
あの時ユウが怒った理由が、オレがユウの「あの人」を嫌いな理由と同じだっ
たらな、なんて…そんな風に思ってたってのは今も昔もトップシークレット。
んで、このままユウも知らないで消えていく。

拳になったまま、冷たいユウの手をほぐして指先から繋いだ。
食い込むほど握り締めてたせいかほんの少し温かい手の平。
ユウは頭を肩にあずけたまま目を閉じて、そして小さく頷いた。
静かに呼吸だけ繰り返す口唇に、敢えていつものようにキスは落とさず。

オレは天井のシミでも数えながらちょっぴしウソついて連れ出した、デートの
話をした。



「そんで、ユウが照れちって…」
「照れてねぇ!!つか…デートじゃねぇだろうがソレは!」
「やだな、ユウちゃん。コイビト同士で出かけりゃ、どこ行ってもデートさぁ」




いざ語り出してみれば、大したことねぇって思ってた日常に多すぎるって言われ
たモノはいっぱい詰まってた。
拾ってきた黒猫の話。
雨に凍えてきた小さな命の名前がユウの名前を貰ってつけたって暴露した。
夏に初めて『ハナビ』した日の話。
人生とか占いなんかに例えてみたけど、結局は全部落っちゃって
初キスはユウが嫌がるかと思ったのに、気が付いたら初めて抱き合った時のコト
まで喋っちゃって


誰もいない教会で子供染みた誓いをあげた話を終えてから改めて気づく。

仲間として、幼馴染みとして、コイビトとして
オレの人生はホントにユウでいっぱいだった。
ホントにユウばっかりで出来てたんだ。



「ユウ、時計見て…あと何分?」
「…3分だ」
「じゃ、十分さ」



自分から指をほどいて、細い体を力いっぱい抱きしめた。
当たり前のように受け入れてくれた同じぐらいの高さの肩がぴくりとも
しなかったことに少し違和感を覚えたけど、今はきっとどうでもいいん
だろう。ぎゅうと抱きしめても抱きしてくれないのは当たり前だと、ゆ
っくり脳が理解してゆく。




「…ごめんな」
「何謝ってんだよ」
「わかんねぇけども、なんか、色々さ」



とくん、とくんと一緒に聞こえてくる、心臓。優しい石鹸の匂い。
とても懐かしいのにそれはもう誰のモノなのかどこで感じたのかオレは
覚えてない。
目尻がじんわりと熱くなったのを、擦り散らして誤魔化した。



「ねぇ、オレたちどこで出会った?」
「教団の廊下だ」
「告白はどっちから?」
「セフレはお前だ。その先は自然発生じゃねぇの?」
「キスは?」
「お前が、不意打ちで──」





時計の短針も長針も、12の文字に重なりかけていて。
人生の半分くらい、抱きしめてきた体温だけど、これが最後になる。
ユウは結局、涙ひとつみせなかった。残りで泣かしてみるのも悪くな
いケド
重なった口唇が離れると、もう一度どちらともなく腕をのばし、求め
合う。





「愛してる、ユウ」
「…俺もだ…」
「この想いもあと100秒もしたらなくなるさ…」
「ベソかいてんじゃねぇ、てめぇが決めたんだろ」
「うん…ごめん」
「しつけぇ」



胸の奥で燃えてた炎が徐々に小さく弱くなってく。薄れてく、漠然と
した恐怖と膨らんでいく空虚。
見えないものを怖いと思ったのは初めてだった。なくなっていく怖さ
はきっと完全になくなれば消えてしまうのだろうが、それでもそのな
くなっていくのを快く待つことがどうしてもできない。
知らずに腕に力が入っていて、ぎりぎり閉められたユウが痛ぇと呟い
た。



「…記憶の中に在り続ければ、ソイツは永遠なんだろ…」
「…そうだよ。体がなくなっても、心が死んじゃっても」
「うぜぇけど、全部覚えといてやる」
「出来る?結構量あるさ」
「ハッ、ナメんな」



記憶も 足跡も 思いさえも消えてそれでも愛は愛として存在出来る
のか

──青白い光が呑み込まれる。








答えは神様だって知らない。








「俺がお前の本になってやる」










針が重なり、炎が消えた。
同時に本が2冊、この世界に生まれた。

厚さも
大きさも
内容も違うふたつ。




並ぶことはないけれど
最後のページには違うくせ字で同じメッセージ







──本当に 本当に
     あなたが大好きでした






End.