『来週の日曜日、花見にいかねぇか』



愛してる、なんて言えたこともない。



「…何、急に」
『予定が空いたんだよ。そっち、ちょうど桜の時期だろ?』
「それで?」
『恭弥と見たいなぁ、って』



それを構成する音は日常に紛れ込んでいるため使わないことなど決してない。
ただ、その音がそんな意味を持つ風に並ぶだけで口にはできなくなる。
脳が発するなと働く。
それ以外はなんでも出来るのに
僕はひと言を言うことが出来ない。
それはあの人が目の前にいるいないに関わらず、僕の意思に背く。もちろん
あえて言ってやろうと思ったことはない。しかし、ここまで強情に拒絶した
覚えだってない。僕の一部でありながら僕の命令を拒絶するそれを憎たらし
く思ったこともある。
が、それが結局それのままとどまったらから、僕も今まで一度もいってない
のだろう。



『ダメ?忙しいか?』



ただし、それはその形にとどまらない。同時に全く逆の意味も持っていた。
電話ごしのしおれた子犬みたいな声がおとなだと主張するあのひとの存在
を食い破って僕を揺さぶる。
僕が折れるとわかっていない。否、期待はしていない。
甘えでありねだるような言葉なのにそれをいつも優しく僕をあやした。
僕の本心を知りつつ、気づききれずに。



「──いいよ」
















【かげひなた】














柔らかく乱れたシーツの波を指先でなぞった。今日だけで何人がこの上で
眠ったのか、僕は知らない。それは当たり前でそしてどうでもいいこと。
ただ、それはごく一般的な役割を果たしただけに過ぎない。
同じ使い方をした人間が他にいないと思うと清潔な筈の白が憎らしい。
天井を見つめるうちに意識と視界のピントが合ってきた。膝を立ててその
まま放置された体。羞恥、なんてあったのかなかったのか、とりあえず楽
な体勢を求めて腰を捻れば途端に軋んだ音が響く。

最中はそれなりに快楽も貪れるのに
罪悪のカタチとは思いたくなくて久しぶりのツケだと言い聞かせた。



「しかし、跳ね馬のヤローもとんだじゃじゃ馬飼ってやがんな」



脱ぎ散らしたワイシャツに伸ばした手が捕まる。
あまりの気だるさに無視をしてみたら事態は軽く悪化した。払おうとした時
にはもう、腕を引かれ顔は反らせないように余った手で固定された。
乾いた手のひらの感触がこの男の年と本来の仕事を感じさせる。その反面、
百戦錬磨だと豪語しているだとか、この男にまつわるくだらない噂を僕に吹
き込んだのはいったい誰だったか。
しばらく思い出すのに時間を使いたかったのに、すぐに見つけてしまってむ
かついた。そもそも、そんなくだらない話を吹き込むのは一人しかいないの
だから迷うほうが無理だと最初に気づくべきだったのだろう。



「僕は彼のものってわけじゃないんだけど」
「へーへー、あいつがお前のもんだって言いてぇんだろ」



分かりきってるとでも言いたげな下卑た瞳。直ぐ様咬み殺そうにも今牙を向
けるわけにはいかない。向こうもそれをわかってやってるわけだから尚のこ
と気分が悪い。
腹いせに睨みつけてみるけど大した効果はみられない。越えてきた死線が違
う、と。あながち間違いじゃないのだと改めて思い知らされた。




「どうでもいいから、早く」
「まぁそう慌てなさんな。ピロトークもセックスの一部なんだからよ」
「昼間から酔っ払ってるのかな?」



愛どころか、それに匹敵する感情もないのに。馬鹿げてる。
そんなのは可愛いとか、お前だけとか安い言葉に簡単に乗せられるような女
にしてやればいい。間に合っているなんて言いたいわけでもないけれど、僕
は、そんなものが欲しくてこんなことしてるワケじゃない。



「ったく、つれねぇな」
「つれたくもないね」



眉をしかめながらも思いついたように触れようとする口唇を手のひらで退けた。
禁煙のはずの校内でこの男がもくもくタバコをふかしているのは知っている。
そんな不味いキスはごめんだし、それ以前に大まかなコトが終わったんだから
わざわざ付き合う義理もない。



「クスリ」



手をつきつけて目的のものを催促すれば苦笑混じりに肩をすくめられた。
去年のちょうど今頃。
桜の咲き誇る季節に僕はひとつ、病気を患うことになった。馬鹿みたいな話
だけど、病気にされた。

桜に近付くと上手く歩けない。


その夏の終わりに治療薬らしきものをもらって一時的に完治をしたものの、
薬が切れれば逆もどり。
おかげで花が散るまでは桜のない裏門から通う始末だ。

白衣の背中が整然と並ぶ抽出を探る。元から学校にあったガラス張りのものと
は違う。彼が赴任して持ち込んだろうとぼんやり考えた。



「それにしても、罪悪感とかねぇの?」
「ヤらせろって言ったヤツが言うこと?それって」
「まぁそうだけどな」


渡されたのは薄い桜色のカプセル。
中身までは確認出来ないけど、少なくともあの時と同じ薬だと言うのは分かった。
銀色の薬包に包まれたまま切り放された、半ダースをそのまま学ランのポケット
にしまう。
一度で一日なら、普通に金を出すよりはずっと安いと思う。




「自分の体を自分の良いように使って罪悪感なんて起きるの?」




黒褐色の瞳に自分の姿が見えた。
僕を見つめる瞳が見開かれる度に僕の姿はより広く写し出された。
身繕いもしていない、抱かれたままのカラダ
寝乱れた髪に精液の絡みついた足
かろうじてワイシャツをひっかけただけの自分はどう考えてもみずぼらしく、滑
稽だ。

でも、悔しくはない。




「ただ、花見がしたかった。それだけだよ」





頭の奥で揺れる金の太陽がこんな薄汚い僕を知ることはないから





愛してる、なんて言えないけど
代わり僕はなんだってやれるんだ







End.










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