ありがちな言葉だが
学ランという服を見たときこれは恭弥のために作られたのだと
思った。
彼を囲ういかつい顔の配下たちも同じ恰好をしているのに、あ
の黒い服は恭弥の細い肩にかけられたときだけはこれが正しい
のだと言わんばかりの表情を見せる。それは元々は軍服だった
背景だったり、フォーマルにも関わらず自由に着こなす恭弥の
圧倒的な支配力のせいだったり。
学生だからと言うのを通り越して学ランは雲雀恭弥と言うイメ
ージの中に沈着していた。



「上まで閉めたら苦しいだろ」



真っ白い生地に並べられた半透明の小さなボタンを対に開けら
れた穴に細い指が器用にぐぐらせていく。最後のボタンを弄ぶ
のに口を挟むと黒い瞳がじろりとディーノを睨んだ。本当は彼
自身の体にフィットするように作らせたのだから一番上まで閉
めようがさして不快感など感じようがないのだが。風紀委員長
だからねと視線を背けてしまうつれない恋人についつい笑みが
こぼれる。



「そうだろうけどよ、そんなにカッチリガードされちまうと逆
に燃えちまうんだけどな。オレとしては」

「…変態」

「冗談だ。少なくとも今はな」



そうだ。今のディーノの役目は着せることで、決して脱がせる
ことではない(もちろん本音を言うならばすぐにでもノリの効
いたシャツをしわくちゃにしてやりたいのだが)
青白い学生シャツに比べたら白は純度を上げて温かなイメージ
を持たせられているがそれ以上に不健康な色をもつ恭弥の肌色
はより一層儚さを醸して胸の奥を良いようもなく揺さぶった。



「ネクタイは?」

「それぐらい出来るよ。僕は」

「風紀委員長だもんな」



笑えば誤魔化してもらえる人だったらきっともっと恋人らしく
なっているのだろう。反面、それじゃあ張り合いがないだろう
ともディーノは思う。
まだ子どもの名残を残す綺麗な手のひらから見慣れた赤とは違
う黒のネクタイを抜き取った。思い通りに行かないときのムッ
としてみせる恭弥はいつものすました顔よりも歳相応で見る度
微笑ましくなるのだ。



「返してよ」

「だめ、オレがやる」

「あなたにしてもらうとろくなことにならない」

「たまには師匠の顔をたてさせろ」



ネクタイを追いかける恭弥を宥めるようにキスをひたいにひと
つ。大人しくなるとは思えないが、言い聞かせる口実には十分
だろう。視線はすぐにネクタイからディーノに移った。





「お前は恋人だけどオレの初めての生徒だからな」

「戦いであなたに教わったことなんかない」

「戦い以外で教わったことはあるんじゃねぇかよ」

「そうだね、いやらしいことは全部あなたに教わったかな」

「おさらいしたい時はいつでも先生に言えよ」

「お断りだね」



襟の裏に通した黒いタイを丁寧に巻いて見せつけるように形を
作る。部下がいないのが納得いかなかったのだろうが。器用に
指を動かせてみると徐々に大人しくなっていった。こういうの
をじゃじゃ馬ならしと言うのだろう。
恭弥のディーノだけが知る表情を引き出す度、誰にともなくど
うだと叫び出したくなる。どうやったのだ、その手腕はと誰も
が尋ねてくるが厳密に言えば恭弥をディーノにてなづけさせた
のは時間だった。結局ディーノ自身が何をしようと恭弥は何の
変化も見せず、距離は時間まかせに縮んでいった。



「出来たぞ」

「出来てないよ。ちゃんと上まであげて」



ひょっとしたらたったの一年で、というのが評価されているの
かもしれないとふと思う。
ただまっすぐに、駆け引きを知らずに挑んでくる子どもと戦い
続けた一年はどんな大きなヤマに向かっている時よりもめまぐ
るしく時が流れた。

目を見張るほどの速度で強くなっていくのを見るのが楽しかっ
た。
分厚いバリアーの隙間から時折溢す表情を見るのが嬉しくてた
まらなかった。
愛しくなってからは更に早くて、気が付けば学ランの良く似合
う子どもは上等なブラックのスーツを見事にてなづける大人の
顔になってディーノの横に立っていた。
それが仕事だったのだからと言われたらそれまでだが頑なな子
どもがそれでいなくなったのかと思えばやはりもったいない気
がする。



「今日のはじいさん達に顔見せるってだけだけどな。くれぐれ
も…」

「分かってるよ。不本意だけど約束したしね」



子が巣立つ時はきっとだれもがこんな気分なのだろうとディーノ
は思う。師匠として情けない顔はしたくないと決心したものの
──しかし遅かった。見せたくなかった表情を恭弥は凝視し、慌
てて隠したディーノに納得し、続きを促してくる。
残った黒いジャケットを開いて見せると躊躇いもなくその中へす
るりと入っていく。シャツと同じように華奢な体に合わせて作ら
れた細いラインは腕の中で身を震え、あたりまえのようにその先
の行動を待つ。
誘っているのならきっとずっとわかりやすく楽だったに違いない
とディーノを思わせた、そんな背中はただ見た目のまま華奢で力
を込めれば壊すのはなんてこともないように見えた。



「すげぇ似合うぜ、恭弥」

「口説いてるの?それ」

「馬鹿言うんじゃねぇ。口説いて欲しいならもっとスゲェのを言
ってやるよ。あーマジで誰にもやりたくねぇ」



巻き込み包んだ腕の内側からは布越しのぬるい体温だけが緩やか
に染み込んでくる。黒いスーツはもうこれ以上ないと言うくらい
馴染んでいた。そのために作らせた、と言うのを差し引いても大
した変化はないとさえ思わせる。輪郭のボヤけるアンティークの
集まる部屋の中で恭弥だけが現実的だった。
ずっと昔から恭弥のイメージは黒だった。が、それは制服が黒で
髪が黒で瞳が黒で。日常の色使いが似合っていたからなんの違和
感も感じなかった。
色には色々な効果があるが恭弥の場合きっとそれが少し違い、恭
弥が黒という色のためにいるのではなく、黒が恭弥のためにある
のだ。



「あいしてる、恭弥」



馬鹿な話だ、色に嫉妬なんて
だがこうして頑なな恭弥を見事に包めてしまうこの色のようにと
願っている。常に思っている。
顔中に落とすキスの雨に恭弥が目を閉じてそれが合図になった。
淡い色の口唇にぴったり触れて誓った。


どうかいつまでも恭弥の心に寄り添っていられますように











End.





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