「後悔なんてしないよ。ただ──この先の並盛が見れないのが残
念だけど」




桜のつぼみがまだ咲かないでいる、春のある日。
大きなスーツケースと並んで立って、あの人は呟いた。その日は
もうずっとずっと見てきた制服じゃない、色だけ同じのスーツ姿
だった。あの人がこの街からイタリアへ旅立つあの日、あたしは
まだ小さい子どもだった。
でも、あの人のことは全部ぜんぶ、覚えてるの。

だから殺し屋になることが決まっていたのに、師匠に頭を下げて
足抜けした。当然制裁はあったけど歯を食い縛って我慢してあた
しはただの女の子に戻った。
そして13の時、あの人のいた学校へ入った。あの人が見れなくな
ってしまったこの街の移り変わりを代わりにあたしが見ようって
思ったの。
子どもの馬鹿な思い付きだったな、って今でも思う。


けど、あの人はとても喜んでくれた。


きっとあたしのことなんかこれっぽっちも覚えてないんだろうけ
ど、並盛って言葉が出るだけで電話の向こうの空気は優しくなっ
た。それが嬉しくて何度も電話したの。

文化祭が無事に終わったって報告に労いの言葉をくれたのだって、
たった1ヶ月前の話だったのに

















【私は貴方のもう一つの未来】




















ランボから電話をもらった時心臓が止まると思った。大学へ行く
ために一生懸命貯めてたお金を躊躇いもなく全部引っ張り出して、
制服のまま日本を飛び出した。
荷物は本当に、教科書とバイトの制服の入った鞄。ただそれだけ



「イーピン!」



言葉も文字も分からないイタリアの空港に降りたってすぐに日本
語の発音で名前を呼ばれた。振り向いてすぐ牛柄が見えた。いつ
もなら先に近付いてくるのは彼。だけど今日のあたしはそんなに
我慢強くない。



「ランボ!!」
「イーピン、良かった…イーピン!」
「ヒバリさんは…ッ!!」



ほとんどぶつかるような勢いですがりつく。
久しぶりの恋人の再開とか痴話喧嘩とか変な想像をしてるひとは
きっとたくさんいる。でもそんな人たちにかまってなんていられ
ない。恋人どころか友達としての再会の挨拶さえおろそかにあた
しはランボに掴みかかる。いつの間にか随分高い位置になってし
まった垂れがちの目にはたっぷりの涙が溜まり、今にこぼれそう
だった。
あたしだってあの人の名前を口にするだけで涙が落ちそうなのに。



「大丈夫、まだ…まだボンゴレの屋敷に…ッ」



あたしを見つけ、さっさと大粒の涙をこぼすと、今度は反対にあ
たしにしっかりとしがみつく。男の子になったね、って思ったの
もそう長くは続かなかったみたい。声を上げて泣きじゃくるのに
また空港中の視線を集めてしまう。
おかげであたしの涙はすっかり引っ込んでしまった。仕方なくあ
たしはランボの頭を撫でてはやる気持ちを必死に抑えた。


早く、早く
一秒でもはやくあの人のところへ






あたしだってずっとずっとヒバリさんだけ見てきた。
山本さんがふざけてじゃあライバルだななんて言ってきたりしたこ
ともある。まだ子どもだったけどあたしはヒバリさんが大好きで、
好きになって欲しくて

なにより幸せになって欲しかったの


でも太陽みたいな人があの白い手にそっと接吻けた時、仕方ないな
って思った。
かなわないもん。
あたしはあんな風にヒバリさんを微笑ます人を他に知らない。






しゃくりをあげるランボの手を引いてボンゴレのお城に入るとすぐ
に眉間にシワを寄せた獄寺さんと山本さんに捕まった。二人とも驚
いていたけど、獄寺さんがアホ牛がとランボを見て舌打ちした。



「ヒバリに会いに来たのか?」



一方の山本さんは中学生だったあの頃と何も変わらず、何も言わな
いあたしから用件を言い当てる。その顔はとても優しかったけどと
ても疲れていた。今どこにいますかと聞けばまた獄寺さんが渋い顔
をする。詳しい事情はランボから聞いていたけど、もっとこんがら
がっていたみたい。
今日は帰れって怒鳴られた。けど山本さんが少しくらいなら良いじ
ゃんって言ってあたしを白い部屋へ連れて行ってくれた。
後ろで獄寺さんがまだ怒鳴っていたけどそれを笑顔で切り抜けてさ
っさとあたしをドアの向こうに押し込めてしまう。

そこは学校の保健室みたいなところだった。ただ、それよりはずっ
と設備があって、
ヒバリさんに初めて会った場所に似ていた。
血の気のない青白いカーテンがひらひらと揺れる中、いつの間にか
後ろにいた山本さんに背中を押され一つだけ閉まるカーテンまで歩
いた。

かつかつ、
響く靴音があたしの心をなぜる。
寝起きは機嫌悪いから気をつけろよ、と言ってくれた山本さんの言
葉も耳の入らず。カーテンが大きく捲れて中の人が見えたとき、あ
たしの中にあるものがいっせいに締め付けられるのを感じた。





ヒバリさんがディーノさんの手を取ってしまった時よりも
師匠の辛い制裁を受けた時よりも
ずっとずっと苦しかった。


なんで、って山本さんに叫びたかった。
でもできなかった。


だってだって、
あたしには分かってるんだもん。


ヒバリさんが何をしようとしたのか
みんなが必死に何を止めているのか



「ヒバリさん…」



名前を呼んだ声はあまりに情けなくて自分でもまともに聞こえない。
この時のあたしには何もしないで帰るって選択肢もきっとあった。
だけどそれだけは絶対選べなかった。



「あたしです…!イーピンです!!…いつも並盛からお電話してる…ッ」



少し、ほんの少し時間が空いて、やがて閉じていたまぶたが持ち上が
る。
真っ赤に泣き腫らした眼が
頬に涙の跡を残す顔が
ゆっくりこちらを向いた。



「…あぁ…君が……」

「はい、ヒバリさん…ッ」

「並盛は…変わらないかい?」

「……はい…ッ」



変わりません。
あなたのいた頃からずっとずっと変わらずに
並盛は退屈で、平和です。



ずっとずっと、ヒバリさんだけを見てきた。
あなたが大好きで、
あなたに好きになって欲しくて、

あなたに幸せになって欲しくて──ッ


なのに



初めて見たヒバリさんの微笑みはとても儚く、すぐに壊れてしまいそ
うで我慢出来ずに声をあげて泣いてしまった。


こんなにあなたの世界が残酷ならばすぐにでも代わってあげたい。
だってこれはあなたのもう一つの未来だから


泣きじゃくるあたしの瞳からそっと涙を拭う痩せた指の温もりがただ
痛々しくてあたしはもっと涙が止まらなくなってしまった。






End.



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