聞いてくれよ、オレの指輪「雨」だってさ
笑えるだろ、オレすっげー晴れ男なんだぜ
遠足とか試合とか一回も雨降ったことねぇの
近所でも何か行事あっと借り出されてさ


な、聞いてる?ヒバリ


だからさ、もう




泣くなよ














晴れを最後・雨永遠











今、俺たちの立っている場所は 偶然を装おうには狭く 奇跡を信じるには広い。

「何の用かな」

それはたったの一秒にも満たないやりとり。
店に入って、見慣れた背中を見つけた。気配を消して、近 づいて。一般的に人が人に声をかけるだろう距離に入った瞬 間、何かを仕掛ける余地ももらえなかった。
仕方なく伸ばそうとした手をポケットにもどす。

「はは、気付くの早ぇの」
「ここは君のシマじゃなかったと思うけど。僕が留守のうち に割り当てが変わったのかな?」
「いやー、そろそろ先パイ帰ってくるかなぁって?待ち伏せ てた」
「君、ストーカー?」
「さすがに今日だとは思わなかったけどな」

小さな手の中で透明なグラスが揺れた。
隣りで飲ませてもらったことなんかないが、彼の好みは知っ ている。華奢な手に似合わない角ばったグラスの中身は濃い めに作られたジン・トニック。
こんな場末の酒屋だというのに、一人静かにグラスを傾けて いるだけで絵になると言うか。 どこかにありそうな風景だ。
怒られるのを期待してすぐ隣りのイスを引いたが、予想に反 してただ睨まれただけに終わる。

「俺もなんか飲もっかなー。先パイお勧めは?」
「知らない。好きなの頼めば」
「あ、じゃコレにするわ。すんません『セッ●ス・オ「君は わざわざ待ち伏せて僕にセクハラがしたかったのかな?」
「純だな〜こんなのセクハラに入んねーって」
「君は普通の職場にいたら真っ先に訴えられるよ」
「だってマフィアだもん」

10年というのは実際は聞くよりずっと早く流れる。
中学に入り、部活以外でつるめる仲間が出来て、ごっこのマ フィアがいつの間にか本物になった。
つるんで遊ぶ連中を草食動物と狩り立てていた不良の風紀委 員長とも今は同僚。ともすれば背中を合わせて戦う仲だ(実 際そんな事態は一度もないのだが)
組織に属しながらふらふらと勝手に生きる、その生きざまを 雲に例えて雲を刻んだリングを彼は与えられた。
そして、それは10年たった今も変わらない

「随分、早く終わったのな」
「別に…あれくらいなら一週間もあれば終わる」
「もう2、3日ハネ伸ばしてとか考えなかった?」
「何が言いたいの」
「知ってんだろ?今日だったって」

敢えて主語は言わない。付け加えるのは重すぎる。声は内容 に反して世間話でもするような軽さだ。
もっと事態を考えて発言しやがれこのアホが、と持つ武器と 同じく導火線の短い同僚に注意されることは今でも多い。
最たる原因はその問題の深刻さをあまり理解していない自分 なのだろうが。
今まで眉ひとつ動かさなかった相手の微かな反応を引き出せ たのだからもう少しこのままで良いことにした。
荒く砕かれた氷が鳴り、余韻も消えないうちにグラスの中身 は傾いてヒバリの薄い口唇へ消えていく。半分くらい残って いた酒は数秒足らずで空になり、荒いままの息で同じのをと バーテンに告げた。

「式は来年の3月だってさ」
「そう」
「結構いろんなとこの幹部が来てたぜ?たかが婚約発表なの に」
「取り入ろうって考えの人間が多いんだろ。彼がボスになっ てどんどん力を付けているからね、キャバッローネも」

シマの端にあるバーは盛況するはずの時間にも関わらず、客 は自分たちだけ。元々そんな広い店じゃないから、空いた空 間はそこまで気にならない。シェイカーのシャカシャカとい う音が眠くなるような音楽に混ざって聞こえた。

人が来ないようなところだからヒバリが来るのか、他の客を 追い返しているのかは知らない。オレが知っているのは、晴 らしきれないウサがあった時だけ、ヒバリがここに来るとい うことだけだ。

「つーか意外だなぁ。アンタって浮気しても浮気は許さない タイプだと思ってた」
「僕をなんだと思ってるの」
「いやー?うん、恐妻とか」
「…ひとつ良いこと教えてあげるよ。浮気なんてのはつがい で群れる発情動物に使う言葉なんだ」
普段のヒバリはマフィアのクセに酒もタバコもしない。
風紀委員長だったころの生活習慣がが染み付いてるらしい。

金色のあの人の手をおそるおそる取った
あの頃の生活が


「僕たちには関係のない言葉だよ」


ヒバリをガチガチに縛り、支配している。
俺にはそんな風に思えた。












酔いつぶれた人間を任されることはよくある。大の大人のく せに、ぐでぐでに酔っ払って自分を支えることも出来ない体 は大抵馬鹿みたいに重い。
けど、見たまま細くて小さな体は抱き上げた方が運びやすい くらいだ。

「先パ〜イ、鍵借りるな」
「…ぅ…」

一応声をかけてブラックスーツの懐に手を入れたが、くてく てになった家主からの返事はうめき声にしかならない。薄 い胸板に張り付いた皮のホルターを辿りながら、なんとか内 ポケットを見つけると鍵を引っ張りだしてドアを開けた。錆 ひとつない銀色の鍵を包んだキーケースは本人と同じで真っ 黒い皮製だ。
ドアから漏れる暗闇を辿り中へ入り込んだ。

「先パ〜イ、寝室どこッスか」
「ベッド…」
「ははっ、とりあえずソファにいてくれよ」

寝室と違い、スイッチは簡単に見つかった。押せば日本にあ るのと同じように少しのタイムラグと共に部屋の全貌を引き 出す。

ここはヒバリの部屋だ。
残る香りはしない。本当にそうか深呼吸してみようかとも思 ったがヘンタイみたいだとやめた。が、たとえ臭いはしなく てもヒバリがここに住んでることは分かる。
中世を思わせる広い部屋は数えられるくらいの家具しかなく、 埃ひとつ落ちてないこの場所で本当にヒバリは生きているの だ。

「お、寝室みっけ」

今日は珍しいことがふたつ。
イタリアに来てから珍しいことが普通になってきたが、今 日のは桁が違う。

ひとつ、あのディーノさんが結婚する。
相手は同盟のファミリーのボスの娘らしい。今日、婚約を発 表して、その人にも合わせてもらった。
ひとつ、ヒバリが一緒に呑んでくれた。
呑んでくれるだけでもランキングベスト3には入るのに、お まけに潰れて今はヒバリの部屋にいる。
どちらが凄いかと聞かれれば甲乙付けがたいが、若干ふたつ めのインパクトのが強烈だ。今までは滅多に呑まないヒバリ が呑む時と、その相手は決まっていたから。

「なぁ、寝室見っけたけど、そっち行く?」
「みず…」
「今度は水かよー、忙しいのな」
「冷蔵庫、カウンターの…奥」
「りょーかい」

広い広いとは言え、さすがにボンゴレ邸には及ばない。ほ んの数歩でたどり着いた、冷蔵庫にはミネラルウォーターと アイスコーヒー。それにスポーツドリンクが並ぶ。その中か らミネラルウォーターの小さなボトルを選んで引っ張り出し た。近くの洗い場からきれいなグラスも適当に持って行くこ とにした。どれくらい入っていたのか。水は馬鹿みたいに冷 たくてどんな酔いも一撃で覚めそうだ。

「へい、おまち」

酒でほのかに赤い頬の上に当てるようにボトルを置く。
飛び起きて怒るかと期待したのに、気持ち良さそうに目を細 めてからゆるゆると目を開けて手を伸ばした。

「ありがと、ディーノ…」

猫みたいに丸まってた体は段階を追って動き人間らしい格好 にもどる。機敏でスピードとセンスを武器にしてるヒバリだ。 今は酒のせいで体も頭も上手く動かないのだろう。
普段ならきっとそうやって、誤魔化せた。

でも、だけど
今日は無理だった

口の端から溢れさせながら、ゆっくり水を流し込む手からボ トルを払い退けて、わきあがる感情に逆らわずに俺は
虚ろなままのヒバリの口唇を、奪った。

「………ッ!!」

目の前に驚いた顔が広がる。
それは視界をいっぱいに支配しているくせに、俺の意識には 一向に働きかけてこない。
あるのはかさついた口唇と
濡れた舌の熱さ。
舌の先をピリリと刺激する酒の味。臭い。
ヒバリが溢れる視界の片隅で零れた水を吸い込んでいくカー ペットを見た。
一度火がついてしまえば接吻けは簡単に終らない。ただ触れ て離れるだけなら。中学生のイタズラの延長みたいなキスだ ったら笑って言い訳も出来たはずだった。

「う、…ッ……ン…ッ」

抵抗のため振り上げられた腕に、押し退けようとする腕に力 はない。酒がいつものヒバリを奪ったのだ。苦しそうに口唇 を外そうとするのを許さずに拒むものをすべて抑えつけて、 衝動のまま舌を捕えて絡みつけた。そうせずにはいられなか った。ただの欲望という意味以外にもきっと意味があったのだ。 俺にはそれが何かわからなかったけど。
粘液の粘ついた音で耳の奥がいっぱいになる頃になると、抵 抗は口の中だけになり、時々無理矢理抑えたような甘い声が 吐息に混じって漏れた。

「なんで、呼ぶんだよ」

声がにじむ。沸き上がってくる感情の名前を俺は知っている。 それはずっと昔からあった。でも、それはどこか奥の、簡 単には出てきては行けないとこにしまっておいたもので。ず っとずっと、ヒバリにぶつけてはならないとしまっていたも のだった。

「なぁ、なんで?」

俺とソファに挟まれて、薄い胸が上下する。酸素が足りない んだろう。口の端から垂れる唾液はどちらのものかもわから ない。酒と、酸欠で虚ろな瞳がとろりとこちらを睨む。頬 に手を伸ばして触れてみたが、そこは驚くほど冷たい。
も、上昇した体温の名残も何もなかった。

「なんで、あの人なんだよ」
「離して」
「…ヒバリ」
「離せ」

見上げてくる瞳はいつものヒバリじゃない。が、それを奪っ たのは浴びるほど飲んだ酒じゃない。キツイ形を作ったまぶ たをゆっくり舌でなぞると目尻の方から透明な雫がころり、 と落ちて冷たいグレイのシーツに沈んでいく。ヒバリはまば たきのひとつも見せず、雫は涙とさえ呼び難い。

でも、毅然と言い放つ言葉が余計に喉を焦がした


ただ意のままに
何者にも捕われずに空をゆく

生きたいように生きる鳥に一途なんて言葉は似合わない

「ヒバリ…」

溜め込んでいたものを遮るフタが外れる音がした。
とろり、とゆるやかに、そして残酷にそれは流れこみ。 最後には言葉になって赤い耳の中に潜りこんだ。









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