ぼくはこんなもの、いらなかった

世界と一緒に
あの人と一緒に

あとかたもなく滅んでしまいたかった。










扉を閉めたのは













僕は微かな影の中にいた。
それは闇と呼ぶには明るすぎて、でも日向と呼ぶには不十分 な。周りに何かある気配はなく、しかし僕が存在すると僕に 認識させる。そんな所だった。
延々と続くそこには本当に遠く、ようやく肉眼で確認出来る ほどの距離にそれはあった。直感的にではあるけど、豆粒ほ どの小さな光がそのサイズのまま近くにあるとは思わなかっ た。白い光は徐々に足をのばして僕に忍びよってくる。僕 を飲み込もうとして。
いやだ、と僕は思った。
白い光は決して僕の望んだものではなかった。しかし足音を たてず広がるそれは確実にこちらへと近付いてくる。逃げる ことは出来ない。とっさに両腕で顔と身体の僅かな部分を隠 したがそれで足りるわけがなかった。ごぅごぅと忌まわしい 音を立て、白い光は僕を呑み込んでいく。 「────ッ」 光が僕を呑んだ瞬間、何かのスイッチが跳ねたかのようにま ぶたが開いた。ぬるい空気が一気に喉に流れ込んで、息が詰 まる。
鼓膜を鳴らしてた音もぱっと消えて辺りは嘘のように静けさ を取り戻していた。
ただ、何もなかったはずの場所にはいつの間にか天井があり、 カーテンがあり、ベッドがあり。

「お目覚めか?珍しい」

身体を捻って起こそうとすれば高い金属音に邪魔をされた、 無理に動かした間接に痛みが走る。
カーテンの隙間から馴れ馴れしく声をかける、汚れた白衣の 無精髭をみて僕は確信した。

生きてしまった。

消毒用の薬品特有の刺激臭でむせかえる部屋はこのムカつく 元保健医の出現によりタバコと女物の香水の混ざりあったも のに感化される。ため息をつこうにもそんなものを吸い込み たくなくてどうしようか悩んでいると荒れた指が口を拘束し てた金具をパチンとならした。

「なんのつもり」 「お前…口きけるようになっての第一声がそれかよ。可愛く ねぇなぁ、相変わらず」 長い時間、かたい布を噛まされていた歯は軋む上に痺れて上 手く動きやしない。まぁ男を可愛いなんざ思いたかねぇけど、 と自分の言葉を勝手に補足してる男をじろりと睨みあげた。

「あんたでしょ?余計なことしたの」
「ごあいさつだな。オレぁ与えられた仕事をしただけだぜ。 女しか看ねぇって言ってるのによ」
「だったら尚のことやめればよかったのに」

強烈な痛みに邪魔をされて随分鈍ってはいるけど、それでも 分かる。胸に厚くまかれた包帯の感触。
僕を邪魔したもの。
すぐにでもびりびりに破いてめちゃくちゃにしてやりたいの に頑丈に固定された腕ではそれが出来ない。

「どうして助けたの」

モグリの一流とわけのわからない評判の男は予想に反して表 情をくずさなかった。ただ半分笑ったような真面目な顔のま ま、あの乾いた大人の目で僕を見つめていた。



自分が何をしたのかくらい僕は覚えている。
何日前になるのか
僕はディーノを、そして僕自身をうった。
いつものようにトンファーで叩きのめしたのとは違う。た だそれよりも圧倒的に確実な方法で、あの鈍く光る鉄の塊を 押し付けて引き金を引いた。ディーノがどうなったのか知ら ないが、死んだのだろう。間違いなく左の胸を撃ち抜いてい たし、近くに彼を助けるような人間がいたとしても生きてい るはずがなかった。

しかし釈然としないのは
僕も同じ条件であったはずということだ。

間違いなくこの手で引き金をひいたのに、


「気持ち悪いとか、頭が痛いとかねぇか?結構強い薬使った んだぜ」 「人の話聞いてる?」 「めんどくせぇな、さっき言ったろ。オレはオレの仕事をし ただけだっつの」 「幹部が死んで、ファミリーのバランスが崩れないように?」

ボタンが飛び、埃に汚れたシャツとはいいがたいそれを、無 骨な手はそれに似合わない丁寧さで剥いでいく。肋骨の浮い た貧相な胸板が包帯の隙間から覗いた。 きっとこの下には生々しく穴を開けた傷口が細い糸に無理矢 理縛られているに違いない。指を突っ込んでかきまわせばま だ間に合うのかもしれないと思った。 考えてたことが通じたのか指は今度は包帯を摘み、ゆっくり はいでいく。少しずつ露になる肌は空気に触れて僅かに身震 いした。 「オレがそんな真面目に見えんのか?お前の目には」 ただ、男は──シャマルの目にはそれに相応した感情は映っ ていなかった。 飄々と、女を口説くときのいやらしい視線に少しだけ似た目 はそれは奥に真剣味を隠しているのだ。 「だから意外だと思ったんだけど?」 「オレはな野郎に惚れるヤツの気なんか知れねぇし知りたく もねぇが人を愛するってのがどういうことか良く分かってる ぜ?」 「何の話?」 脈絡のない、くだらない話に眉をしかめるが相手は気にした 風もなく続けた。 「ありゃ、とんでもなく綺麗でぶったまげるほど醜いモンだ が、中には言葉の通り本当に命がけで愛してくれた女もいた な」 「意味が分からない。だから、何を」 「本当に、お前が自分の左胸をぶち抜いてたなら、オレの出 る間もなくお望みの場所へいけてたぜ」 話題から話題へ しかも自分が質問した内容にはかすりもしない内容に僕はさ らに困惑し同時に苛立ちが芽生えはじめる元々無駄な話など 大嫌いだしとりわけこの男は顔を見るだけで不快なのだ。い い加減にしろ、と睨もうと口を開いた瞬間、胸を隠していた 包帯がすべてほどけた。 「──なに」 露になった自分の胸を見て驚く。 肉をえぐり、貫かれた。 醜い銃痕は確かにあった。 でもそれは狙ったはずの急所とは程遠い。 一撃で死ねるはずもない場所にあった。 自分で自分が信じられなかった。 「言っとくが、撃ち損じたんじゃないぞ」 「ならなんで」 「お前を助けようとしたヤツがいたってだけの話だ」 「僕を?」 頭がうまくまわらなかった。 一体誰が、誰に僕を助けられたというのだろう。 一緒にきた獄寺は途中さっさと撒いた。ディーノを殺すこと はともかく、僕がそれと一緒にいこうとしてることに誰ひと り気付いているはずはないのに。 すべての可能性を洗えば洗うほどその「すべて」は失われ代 わりにひとつの答えを浮彫りにしていく。 でもそれは認められるはずもない 「事切れるまでの数十秒──いや、数秒だったのかもな」 「どうして…ッ」 「そいつはお前の方が分かってんじゃねぇのか?」 「ディーノが僕の邪魔をしたって言うの?」 言葉はたくさんあふれてくるのに上手く形にすることが出来 ない。 だってあの人は僕のそばで死にたいって言ったんだ。 それを僕は聞き届けてやったのに 「さあな、ただ跳ね馬は死ななくちゃならなくてお前は死な なくてもよかった。そしてオレは跳ね馬の遺志をくんでやっ ただけだ」 いささか皺を増やした手が再び僕の胸に白い包帯を巻きはじ める。傷口に置かれていたガーゼだけは取り替えられたけど 、そこに赤い色がにじむことはなかった 診察終わり、とシャツのボタンまで丁寧に止められた。 「気分はどうだ」 「目がかすむし、息は苦しいし、胸がムカムカする」 「口が減らねぇな」 あなたは本当に一体どこまで我が侭なのか。 こんなことをして僕が喜ぶとでも? 「大体それは薬のせいじゃねぇだろ」 こんなものぼくは欲しくなんかなかった。 世界と、あなたと一緒に消えてなくなりたかった 『好きだよ、きょうや』 だってここにはあなたがいない 僕を好きだというあなたのいない世界での息の仕方さえ僕は忘れてしまった。



End.