忙しいくせに来たんだ、多分話す意思はあるだろう。
それでも気が進まないのか、しぶい顔のままで黙りこんだ。
こういう時、話すまで待つってのが常套手段なんだろうけど、生憎、
俺はそんなのん気じゃねぇ。



「…ラビから連絡があったんだ」



焦らしてんじゃねぇ、と舌打ちしたのとほぼ同時にコムイの口が開
いた。くっと吐き出しかかった言葉が喉に引っかかり止まる。眼鏡
の向こうのコムイの眼がまっすぐに俺を写してかかる。



「アクマの群れに1匹だけレベル4が紛れてて…もう少し時間がか
かるって」
「レベル4…まだいたのか」



アクマは殺人の経験を積む事によって成長する兵器。
殺したら殺しただけ進化する。
とはいえ、その大半はレベル1か2の時に破壊されるから、レベル
3ならともかく、レベル4なんか聞くのも久しぶりだ。



「まぁ、連絡してくるだけの余裕があるみたいだし、あのメンバー
なら戦闘力で牽けをとることもないと思う。―――――ただ」



再び、コムイの表情が曇った。
一瞬、その程度か、と揺るんだ緊張がまたゆっくりと語られていく
言葉に、高まり心臓が早鐘を打つ。残り少ない回数をこんな風に消
費するのは正直不本意だ。それでも口の中が乾き、握り締めた手の
中でじゅっと汗がにじんでいくのをとめることはできない。



「ただ、問題は君のほうなんだ」





覚悟なんざ、決めたのはとうに昔のこと。
あの人を探さなければならないと知ったとき、命を捨てる覚悟をし
た。見つけるまでは死なないと誓い、その言葉の通りあの人も見つ
けた。
しかし、あの人は、もういない。そしてラビの無事は今聞いた。
そうなれば、俺に残された問題など



「この前の検査の結果がね、
その…あまり良くなかったんだ…」



ああ、やっぱり
そんな言葉が掠める一方で腹の内側がぐっと絞られていき、ふとした
一瞬に目の前が白く染まった。頭が真っ白になるなんてのはこんなこ
とかと冷静に考えてみる反面、そこまでショックを受けている自分に
も驚いた。



「こうして起きてられるし、体力の低下以外に身体的な変化があるわ
けじゃないから、まだ自覚はないと思うけど…思いの他、侵蝕が激し
い」



ただしおかしいのは俺だけじゃない。コムイもだ。
元々気なんて使うようなタイプじゃねぇのに、この言いぐさ。
一つ一つの言葉や間合いまで選びながら、遠まわしに伝えてくるとこ
ろをみると、俺に残された時間は自明だ。



「あと、どれぐらいだ?」



コムイが顔をあげた。
始めて見上げた時に比べ、吹け込んだ顔。小さなシワや疲れが目立つ
ようになったコムイ。室長になって何年が過ぎたのか、正確には覚え
てねぇけど、それだけの年月が過ぎた事を物語ってる。



「早くて…2ヶ月。どんなに長くても半年は…」
「そうじゃねぇよ」



恐怖は なかったのか
それとも、感じなかっただけなのか。どっちにしても変わらない。
感じないならないのと同じだし、ないなら感じないのは当たり前だ
ろう。



「アイツが―――ラビが任務を片付けるまでだ」



人はいずれ消える、儚い存在。でも、それよりも短く、脆いのが俺
の命。
少し前だったら、アイツのいる世界の、アイツがいない場所で死ぬなん
て考えただけでも気が狂うか、それに近い状態になってたんだろう。



「でも神田くん…それ以前に、君が…」
「あいつは」





――一緒に暮らそ?――





けど、今は違う。
アイツは俺に約束した。俺はそれを信じた。信じてやる、と言った。

どんなに鍛錬を積んでも
どんなにアクマを壊しても
決して消えることのなかった焦燥感。

だが、言い放った言葉は自分でも驚くくらい静かで迷いのない声だっ
た。



「俺は、死なない」



確信にも似た予測だった。希望を捨てたくないから言ってるんじゃね
ぇ。アイツは帰ってくると言ったから、アイツは帰ってきて、俺を迎
えに来る。出来ねェ約束してくほど、バカで無責任な奴じゃねぇから



「…増援を送るよ…」



コムイは少しだけ目元のシワを増やしてそれっきり何も言わなかった。
最後に残された延命の手段を受ける気がないってことを悟ったんだろ
う。





2日ほどして、アレンとリナリーが人知れず教団を発った。
もうすぐ戦いが終わる、と喜んでいる連中に不安を散らせたくなかっ
たらしい。
それを知ってるのは俺と、コムイとリーバーを始めとするコムイ直属
の部下だけだ。


訪れる者の入なくなった部屋で、何をするわけでもないただ、ぼんやり
と過ごす日々が1週間、2週間と続く。その内、夢も見ねぇような深い
眠りに陥る間隔が、少しずつ短くなって2ヶ月を越す頃には、もう起き
てられる時間のほうが短かった。

朝食を終え、瞬きをした次の瞬間には日付変更が近いなんてこともザラ
だ。夢を見ることも許されない深い眠りと独りきりの目覚めの不毛な繰
り返し。


睡眠抑制の薬はもやは効くはずもなく、
ましてや、命を引き伸ばす薬なんかあるはずもねぇ。
俺を繋ぎ止めてるのはラビの残した



「ユウ」



あの゛約束“だけ


底のない暗闇で、名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。それも、幾千、幾万
と聞いた、愛しい、彼の
髪を撫でる、まるで子供でもあやすように温かな行為に意識が一気に覚醒
に向かう。重たい瞼を強引に開いた。端から入り込む闇が、俺に夜を告げ
た。

意識と五感のチャンネルを慎重に繋いだ。

徐々に薄れて行く闇
マメのせいで堅くなった手のひら
見なれたオーダーメイドの団服
ローズクロス
すり切れたマフラー
いつも愛を囁いては俺に寄越す口唇



「起こした?」



そして、片方を眼帯で隠した灰緑
太陽に似た赤い髪。



「ただいま、随分待たせちゃったさ」



口調とは裏腹に悪びれ様子もない、笑顔が見上げた先から柔らかく降り注
いだ。
そいつの名前を呼ぼうとしたが、うまく声がでない。
なんとか、出せそうな言葉を
探して、探して、探して…



「バカうさぎ…」

「いきなりバカは酷いさ〜ユウ」

「当たりだろうが」



そして出た言葉。
こんな時だってのに辛辣でラビもずっこけてだが、どうせ俺がやる事だ。
ヘタに湿っぽいよりこっちの方が俺らしい。



「少し痩せた?」



言葉と共に差し出された、腕
触れてきた指先ソレより先は抱きしめられて分からなくなった。

でもそれは確かにラビの体温で、俺が待ち焦がれていたものだった。



「少し、じゃねぇ。大分だ。テメェがトロいから」
「え〜、これでも超特急さぁ」



とりあえずひとつ、約束守るのに。と
はにかんだ口唇が接吻けるために静かに触れた。

超特急、ってのは恐らく嘘でも、誇張でもねぇ。
本当にすぐ、俺のところに来たんだろう。
傷ひとつない笑顔と綺麗すぎる団服がすべてを物語っていた。



「ユウ」



俺の名前をラビの声が呼ぶ。
いつしかボーイソプラノから低めのハスキー、そして甘いテノールへと変わ
っていったが、後にも先にも名前で呼ぶことを許したのはこいつだけだ

ゆっくり持ち上げた腕で背中にすがると、がっしりとした腕が更に俺を強く
締め付ける。



「あの約束、守りにきたさ」
「ああ…」



さっき触れた口唇のかさりと乾いた感触にいつもより低く感じられる温度。
それが何を意味してるのかは俺にも分かった。



「まず何からしよっか?」
「さぁ?形通り、まずは婚姻じゃねぇの?」
「あ、それいいね。ふたりだけで結婚式。ユウドレス着てくれる?」
「…三十路前の男に女装させて何が楽しいんだ…」
「ダイジョーブ、ユウは今でも綺麗さ」



でも、それを知りつつ、こうすることを選んだのは、誰のためでもない。
開けばガキみてぇなことばかり言う口唇をキスでふさぐと、
そのまま、 本当に花婿が花嫁にするように軽々横抱きにされた。



「こうして、皆に見せ付けながらバージンロード歩くのも捨て難かったさ」
「西洋の結婚式はうさんくせぇ」
「そぉ?」
「でも誓いの言葉は嫌いじゃない」
「どの辺?」
「“死が二人を別つまで”ってやつだ」
「ああ」



ぐんと近くなった、ラビの顔
この顔を、俺はずっとずっと見てきた。

見ればいつもへらへら笑ってて
アホみてぇにピーピー泣いて
一緒に悪戯を覚えて
怒る事を知って




「たとえ死んでも、俺はずーっとユウのこと大好きさ」
「大きく出たな」



女にするように口説かれるのが日常になって
隣にいないと不安がるようになって
俺まで不安になって、

アイシテルだとか I love youを信じちまうようになって

気がつけば こんな
大人の男の顔になっていた。



「――行こっか。これからはずっと一緒さ」

「当たり前だ。離したら許さねぇぞ」

「離さないってば」





どんなに辛くても
どんなに悲しくても
傷つくために出会うはずなんかねぇんだ。



たったひと言を告げるのに
こんなにも時間のかかってしまった俺だけど


どうか まだ間に合うなら





――アイシテルと この人に……













 訪れた朝は複雑な色で縁取られた。
討伐の任務を終えて、この戦いに終止符を打った者。
喜びを分かち合う者。
傍らにひっそりと置かれた黒塗りの棺。
そして悲しみの現実に打ちのめされる者。


そんな中、アレンだけはどちらの輪に加わるのでもなく、ふらふらと幽鬼
のように人気のない廊下を歩いていた。


返り血に染まった髪
ほこりで白くなった団服
頬を静かに濡らす涙。


その残酷さをどれだけ理解しようとも、この真実を隠すことだけは、出来
なかった。いや、むしろそれを伝えることは自分の使命だとどこかで思っ
ていたのかもしれない。
彼の部屋の前に辿り着くと、涙を隠す事も忘れ、静かにドアノブを回した。
もう昼が近い時間だというのに、カーテンは閉められていた。
生活感の薄い部屋。壁には、彼の愛刀、六幻が。
その奥のベッドの上に、やっとこの部屋の主の姿を見つけた。



「神田…」



名前を呼ぶが、返事はない。
別に珍しいことでもない、
最近は体力の低下が著しく、目を覚ましていることのほうが少ないと
さっきコムイから聞いた。
それでも、ラビを待つと言って、最後の延命を受けなかったことも…



「神田…起きてください、ラビが……!」



やるせなさに、その細い体を揺さぶった。

起こさなければ、
伝えなければ、


義務感がアレンをそうさせた。

しかし皮肉にも
それが、アレンに事の異常さを伝える全てになった。





「…かん…だ…?」



反射的に飛びのきそうになったのを何とか抑えて、その手の平で慌てて薄
い口唇を覆う。


触れたのは血潮でもなく、ましてや吐息でもない。

それはもう、魂の抜け殻だった。布越しでも分かる、冷たい体。
されるままにがくがくと揺れる関節青いサファイアのような瞳は長い睫毛
の下で永遠に眠り、もう 輝きはしなかった。

アレンの頬を流れる涙の川が、太さを増した。
名前を呼んで、何度も抱きしめたが、そこから返るものは最早何もない。
信じまいとしようにも、横たわる事実が許してくれるはずもなく。


かつて養父を亡くした時と同じ慟哭が今度は男の声で響き渡った。







何時間が過ぎただろう。

涙がかれて、嗚咽も出ないほど喉を痛めつけた後、アレンは人形のように
なってしまった彼を抱いて、部屋を出た。



この聖戦の最期の犠牲となったエクソシストの棺
「Rabbi」と刻まれたそれに、彼を共に収めるため














―――幸せだった?

   幸せだったよ?――――




ずっと ずっと
何があっても君がいてくれたから。








END.








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