「ねこになりたい」


小さく呟いた程度だったはずの言葉は思いの外良く響いた。つるりと
滑らかな断面を持つ石材の壁は音を飲み込むことも外へ吐き出すこと
もしないでただ硬く跳ねかえした。四方八方ぶつかっては跳ね返され
るやり取りは勢いが完全に消えていくまで続く。
そうして消えた頃には恭弥と恭弥以外の人間の両方が言葉の内容を十
分に咀嚼し飲み込んでいた。
頭の上から問い詰めるような視線がちくちく降ってくる。体を預ける
ソファは洗練された部屋の雰囲気とは相反しどこか隙というものを盛
り込んだ作りをしていた。高級な皮貼りではなく、思わずいじってい
たくなるような手触りの布もそうだ。肘掛けは枕にするには少しばか
り高いがなるようになる。
ごろりと横になると隣にいた黒い毛玉が不思議そうに覗きこんできた。
誰かを彷彿させるような金色の瞳はアーモンド型の目の中でくるくる
よく動く。



「人間みたいに群れないし、誰も群れたがらない」

「うん」

「好きなとき並盛を見回れるし、昼寝も出来る」

「恭弥らしいな」

「どうしてこう人間というのは制約が多いんだろうね」



指を一本出して柔らかい喉元を擦ってやると気持ち良さそうに目を細
めた。
こんなリアクションさえ気まぐれというのには頭が下がる。気が向か
ない時は容赦なく噛みついて、引っ掻いてくる。
たとえ人間に懐柔しても猫という生き物は血と肉を主に捧げたりはし
ない
頭を撫でてみようか、と思ってみたりしたが恭弥が指を引っ込める前
に猫は瞬時に警戒で体を包み、一瞬の硬直の後ソファを飛び出してし
まった。あ、と思わず叫んだのもつかの間。身を起こすよりも早くデ
ィーノがのしかかってきた。
目を慰めるような漆黒から一転、降り注ぐ温かな金色の輝きに一気に
眩しくなった気がする。
体格差など普段は歯牙にもかけない恭弥だがディーノが相手となれば
話は違う。風呂あがりの格好のままのディーノは愛用の鞭を持ってい
ないが武器がないのは恭弥も同じだ。腕力の勝負になったら勝ち目は
ない。
結局その勝負が始まることはなかったけど



「おれも、なりたい」



にやりと挑戦的に笑う大人に聞いてみる。
───なにに?
ディーノは金色の頭を恭弥の首の辺りに擦り付け、擦りよってきた。
それこそ



「ネコに」





ねこのように。
そこで初めて重さというものが体にに加わった。全てではないが両腕
に胸、そして頭がソファに横たわった薄い胸の上に乗ってくる。上か
らだけだと思っていた圧力は体臭とは違うディーノの匂いと共に恭弥
を包んだ。



「ネコになって、あいつみたいに恭弥と一緒にいてー」

「………」

「今みたいに一緒に昼寝して、ゴロゴロ撫でてもらってー」

「……まさかとは思ってたけどあなたって…」

「あ、なんだよその可哀想なモノを見る目は」



いい歳して被害者みたいなうざったい声を好んで発する男が可哀想な
もの以外のなんだというのだろう。
なれなれしく名前を呼ばれ、ついばむような可愛らしいキスをされる。
悪戯の延長のような接吻けだ。そして接吻けの延長は───子どもに
も分かる。
顔をくすぐる金髪が目障りで、毟りとってやろうと指を突っ込んだが
「いてぇ」と眉をしかめられただけで終わってしまい、諦めざるをえ
なくなった。
ため息と一緒に、机の下へ逃げた黒猫がにぁあと鳴いて僕を見上げる。
無力を詫びるような声だった。


自由で孤独で温かい
時には少し罪悪感を感じたりする

そんなケモノの1日









えんど




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